メールマガジン

第110回2014.05.28

インタビュー:北杜市 産業観光部観光・商工課 浅川 裕介さん(下)

 北杜市の「食と農の杜づくり課」にて、様々な取り組みをがむしゃらに進めていった浅川さん。仕事中は北杜市内を走り回り、また、今治市や小浜市など遠隔自治体の実践事例をも次々に取り入れていった。
 この浅川さんが役所に入ってから、どのような仕事をしてこられたかについて引き続き話を聞いた。


稲継   前の所属におられたとき、つまり食と農の杜づくり課を誕生させた頃に、そこで取り組まれたお話をしていただいたんですけども、ここからは、浅川さんが大泉村に就職されてから、今までどういうお仕事をして来られたのか、時系列的にお伺い出来ればと思います。

浅川   今は合併し北杜市ですが、僕が入庁したのは平成14年で、もともと生まれ育った大泉村の役場に就職をしました。最初は、民生課という福祉関係がメインの仕事でした。なので、どちらかというと、今している産業関係の仕事とは180度も違って、法の中、決められた枠の中で、淡々と作業をこなすっていうのが多くて。

稲継   福祉関係でも、村役場だといろんな事に携わる事になりますよね。

浅川   一人で色々掛け持っていましたね。保育園の料金の納付書を発送する業務や、障害者の担当は全般的にやっていましたし、大泉村は特殊だったのですが、民生課というところで住宅も管理していたんですね。あと、山梨県には県単独の医療費助成制度があって、もう忘れちゃったけど、68歳から70歳までになる2年間、老人医療を受給する前の方々を山梨県は手厚くやっていて、その担当をしたり。4~5の業務を1人が持っていましたね。

稲継   それぞれの分量はそんなに多くはないけど、でも、色んな種類の仕事をやらなきゃならないから、大変ですよね。

画像:※北杜市役所
※北杜市役所

浅川   そうですね、薄く広くみたいな感じですね。だから、今に比べたら制度の細かい所までは、当然、熟知できる訳じゃなく、本当に色んな事をやらなければいけないっていうのは、村の時代ですね。

稲継   この大泉村役場が合併したのが?

浅川   平成16年11月ですね。

稲継   じゃあ、入られて2年程。

浅川   ええ、2年程で合併でしたね。

稲継   で、合併してからの所属は?

浅川   旧大泉村では2つ温泉を持っていましたが、合併間際に職員が急に辞めることになって、兼務で温泉と民生課の2つの業務をすることになり、その流れで合併後にそのまま甲斐大泉温泉の近くにあるパノラマの湯の現場の担当になり、温泉経営の担当をすることになりました。それが半年ぐらいだったかな?平成16年11月から平成17年6月末までずっと。

稲継   温泉経営の担当って、我々は良く分からないですが、どういう仕事をやるんですか?

浅川   雇われの支配人みたいな感じですね。基本的に受付とか、中で働く方は臨時職員さんを採用して、行政ですから、あまり利益という部分は言わないのかもしれないのですが、そうは言っても借金をして建てているわけなので、入館者数を増やして、どれだけ黒字を出していくか、みたいな事をずっとしていましたね。

稲継   それを8ヶ月ぐらい。

浅川   はい。その後、平成17年7月に国民健康保険の担当になりました。合併して初めて本庁の担当になって、国民健康保険の担当になったんですが、本当に数字に追われる、みんな「国保の担当は大変だよ」と言うぐらい、数字と睨めっこです。僕は主に第三者行為という、交通事故を起こした際は保険適用外になるので、その求償事務とかをしていました。求償事務は専門的分野になるので、国民健康保険連合会というのが、各都道府県にあり、そこがメインでやるんですけど、交通事故の疑いがあるようなレセプトを吸い上げるような事をしていました。すごい件数があるじゃないですか。基本的にパソコンが好きだったので、連合会から送られてくる電子データから交通事故の疑いがあるレセプトだけを自動で吸い上げる簡易的な仕組みを作りました。それで、何ページ目の何枚目をチェックするとか、そういった事をしていましたね。国民健康保険担当も1年ちょっとですね。1年半ぐらいで農政担当に異動したという流れになります。

稲継   国民健康保険の担当のときに、まさに役所の中にいてデスクワークをして。

浅川   もうほとんどずっと机に座っていました。

稲継   冒頭でおっしゃっていたスーツを着て涼しい所で仕事をするっていう、要するにそういう仕事をやっておられたのですね。

浅川   まあ、そういう感じでしたね。ずっと庁舎中でのデスクワークで、外は1回も行かなかった。

稲継   そうですか。そこからいきなり農政課に変わりましたよね。

浅川   そうですよね。

稲継   その時、どういう印象を受けられましたか?

浅川   いや、もう本当にその時は公務員というのはどっちかと言うと、スーツが制服と言うか、スーツに身を守られてと言うイメージだったので、先ほども言った様に、農政担当はそんな華やかな所じゃないし、自分は出世したいと思っている人間ではないですが、「市役所の中での、花形な業務ではないんだな」という感じはありましたね。僕の先入観かもしれませんが。
 ただ、たまたまそこで一緒だった上司が変わっていて面白い人だったんです。今の自分があるのは、今の自分をつくりあげていただいた上司の影響で、いろいろ現場や、県外の市町村へ出歩く様になったんで、安井さんや、食や農に携わり先進的な取り組みをしている方と出会うことが出来ました。農政課に行って初めて机以外に大切な事があることを教わったのかなと思いますね。

稲継   なるほど。その上司は保坂さん?

浅川   保坂さん。

稲継   保坂さんは、今も農政課に?

浅川   保坂さんは面白い方で、元々は市町村職員の研修を企画運営する市町村総合事務組合の職員です。そこの研修の担当の人で、旧長坂町時代に人事交流で来ていて、そこで気に入られてずっと帰してもらえなくて、通算どれくらいいたんだろう。8年とか、それくらいいたんじゃないかと思います。

稲継   人事交流で?

浅川   ずっと帰してもらえなくて、それだけ人望もあったというか、旧長坂町でずっと農業関係の仕事をされていて、やっぱり農家から絶大な支持があったし、ずっと帰れなくてそのまま合併して、北杜市でも農政をやっていて、僕はたまたま帰る前の2年間一緒に仕事が出来たんです。平成19年、平成20年と2年間一緒になったんですね。その上司がまだ北杜市にいる平成19年に、たまたま僕は異動出来たので、そこで2年間一緒に仕事をさせて頂く事が出来ました。

稲継   その人から、体で教わった事がたくさんあるという事ですね。

浅川   そうですね。非常に多いですね。

稲継   その人は、スーツを着て座っているのが役所の仕事だよというイメージとは、全然違っていた。

浅川   もう、全然違います。僕は、農政課、食農課の時は、本当に机に座っている事自体がなかったんじゃないかって言うぐらい、席にいませんでした。「あいつは、どこ行ったんだ」という感じだったと思います。

稲継   そういう上司もおられた事が、非常に幸いして、冒頭の話、食と農の杜づくりのプロジェクトを進めてこられたという事ですね。

浅川   そうですね。

稲継   食と農の杜づくり課から、今度は今の観光商工課の方に異動になられました。それは、いつの事ですか?

浅川   平成25年4月に観光商工課になりました。

稲継   どういう仕事を担当しておられますか?

浅川   ここでは、ほとんど内部管理的な事ばかりで、主には指定管理の施設の整理をする担当です。昔、補助金とかでどんどん温泉施設とか観光施設が出来たりして、今となっては負の施設とみんな言いますけど、そういった施設の指定管理を、老朽化や、合併に伴い同じ機能を持った施設が多くなってきていることから、整理をする担当をしています。そして、もう一つは、登山道整備。北杜市は日本百名山に囲まれている、素晴らしい山岳景観の地域で、観光企画担当が登山道の整備も担っています。
 僕は観光企画ということで、色々な企画を仕掛けられると思い異動しましたが、内情は、名ばかりの企画で、施設の管理がメインの担当でした。なので、どちらかと言うと、また机に張り付く仕事ばかりになってしまいましたね。

稲継   そうですか。外に出たいなと体が疼きませんか?

浅川   そうですね、今は慣れたというか、体を動かす方は、業務とは別の所で体を動かす様にしているので。今は内部管理を淡々と進めています。

稲継   観光の方で今は、指定管理の施設の担当という事なんですけど、これから、観光商工課としてこういう事をやっていきたいなということが、もしありましたら、教えて頂きたいと思います。

浅川   そもそも、異動希望に観光と書いて異動したんです。

稲継   そうなんですか。

浅川   ただ、僕があまりにも内部の情報をよく知らなかっただけで、今まで食農課にいて、北杜市は食だったり農業に非常に魅力のある物がたくさん点在していたり、潜在的な能力としていっぱいあると感じていて、外からグリーンツーリズムの要望が多いものの担当が明確化されていなかった事もあり、市として誘客が出来ていなかった。そもそも観光は、その地域の光が当たっている物を見ることなので、僕はそれを食農課でしてきた事だと考えていました。なので、これまで内部的に進めてきた体験プログラムを、外から来る人も自然に出来る仕組みにして、もっと北杜市の美味しい農産物のファンが増えたらいいなと思っていました。僕は最初から人だけを呼ぶような観光というのはしたくなくて、食や農を軸にして、外から人を呼び込むような仕組みが出来たらいいなと思います。
 観光企画という名前に騙されて、「企画ができる担当だから、やりたいことを持って企画に異動したいです」と希望が通って、そこになったんですが、実は中に入ってみたら、全然そんな事は担当じゃなかった。隣の観光振興がその担当だったという落ちが。完全なミスですね(笑)。
 観光になってやりたい事っていうか、僕は行政職員ですから、時がくると異動するというサイクルは逃れられません。でも、自分が観光になったから、今までやってきた事が出来なくなってしまうというのが一番嫌ですし、これまでしてきた事は、観光の土台にも繋がる事ですので、公務外でも引き続き食や農でのまちづくりを進めるため、自分も百姓になって農民の目線で地域農業を盛り上げていきたいということで、地域の若手のお百姓さんとグループを作りました。
 自分が農民になって今まで以上に地域の農家さんと濃い関わりになって感じることは、市役所の机の上で考えている事と、現場で実践している方々が考えている事では、ズレがある事。比較的行政主導でまちづくりをする事が多くて、その時は大体失敗する事も多い、だからそれを無くす為にも公務以外でいろんなところに顔を出すようにしています。調整役じゃないですけど、現場の話を聞いて担当者に繋いだり。もっと市民と繋がろうと異業種の交流会だったり、そういう事を企画して地域事業者の方々と共同で進めたりしています。今、自分は観光企画という中で数字の管理とか施設の管理がメインですけど、隣には観光振興もあるので、情報は共有しながら、地域が盛り上がる仕掛けや、まちづくりという視点で地域をデザインしていきたいと思います。

稲継   まちづくりでいうと、今、ちょっと触れられた、役所の仕事以外に、色んな人と関わりを持っているというのは、具体的にはどういう事ですか?

画像:※「のらごころ」の若手農業者
※「のらごころ」の若手農業者

浅川   今は、僕は公務員の傍ら、4反ぐらい農業経営をしていて、農業で生計を立てると覚悟を決めた若手の有機農業者約二十数名で「のらごころ」という農業者グループを立ち上げ、オブザーバーとして関わらせて頂いております。
 Facebookなどで情報発信をしていると、本当に沢山の方々が応援してくださり、地元スーパーでコーナーを設置して頂いたり、東京のレストランなどからもお声をかけて頂いたり、人の繋がりを大切にした販路が増えています。

稲継   そうですか。

浅川   北杜市の農地をフルに活用出来れば、お米だけの自給率は600%位になるし、野菜に関しても自給率は400%位と試算が出来るんです。ただ、カロリーベースにすると北杜市で100%。山梨県で21%ですけど、品目ベースで言えば、それだけ農業生産ができるポテンシャルはあるので、地産地消だけをしていたら、絶対に物は溢れる訳ですから。

稲継   そうですね、余る。

浅川   それを誰に売るのかという事を、今模索しています。既存の流通形態では価格競争に勝てませんし、商品を生産しているのではなく、人の命を支える食べ物を栽培しているという事を今一度見つめ直し、手間がかかっても価格競争に巻き込まれない、人と人との繋がりを大切にした販売から、農業を魅力ある産業にしようとメンバーと知恵を絞っている所です。
 もう一つの活動ですが、北杜市は、商圏が見込めずフランチャイズ店が進出出来ないエリアです。そこで唯一カーブスを引っ張って来た変な人がいるんですが、元々彼は地元出身で、この地域を元気にしたいという想いがあって、北杜市を良くしたいよね、もう少し若者の交流の場が欲しいよね、という話になって、月1回、異業種交流会みたいなものを開催したり公務以外でやっています。

稲継   なるほど。東京に行く時には、ファーマーズマーケットに出すんですか?

浅川   ファーマーズマーケットには行かないです。もう直接マンションに営業をかけています。

稲継   マンションに?

浅川   600戸住んでいるマンションの下で売らせてもらうとか。

稲継   そうですか。

浅川   僕は、青山の街の中で野菜が並んでいるとそれだけでお洒落なのは分かりますが、ファッションの一部としてしか捉えられていないのではないかと僕は考えていて、表向きに「日本の農業を応援しています」って聞こえてしまうので、出店しません。実際見ていても農家も長続きしていないですよね。

稲継   そうですか。

浅川   あとは、野菜だけ送って、東京にいる人が代行で販売するというケースもあるし、全然ファーマーズじゃない。僕も1回六本木に行った事がありますが「どうやって作っているんですか?」と言うと「それはちょっと分からない」みたいな回答をされるので。

稲継   (笑)なるほど、答えられない。

画像:農業者による野菜の直接販売の様子
農業者による野菜の直接販売の様子

浅川   やっぱり、直接消費者と繋がっていくしかないかなと思いました。大きな物流にのれば、有機農産物というのはマークのひとつにしか過ぎず、結局生産効率が良い地域には価格競争では勝てなくなる訳で、それでは産地として小さい私たちの地域の農業は生きていけないのではと、ならば、手間がかかっても作り手と買い手に血が通った販売を模索していった方が、長期的に安定なお付き合いが出来るのではないかと考えています。

稲継   有難うございます。今日は浅川さんに食と農の杜づくりの話を中心にお話をお伺いしてきました。このメルマガは全国の主に自治体職員の方が沢山読んでおられます。自治体職員の方の中には自分もこんな事をやってみたいなと思いつつ、結局は日々の仕事に流されて一歩踏み出せないという人が実は大部分で、そういう人に対しても、浅川さんは、一歩踏み出しておられる方だと思いますので、何か勇気づけるメッセージとかありましたら、最後にお願いしたいと思います。

画像:浅川裕介氏
浅川裕介氏

浅川   そうですね。あまり色々周りの事を気にすると、たぶん進めないでしょうね。周りの事を気にしたら、たぶんやらない方がいいと思うんですよ。結局、目立てば目立つほど、いい部分で応援してくれる人もいるけど、そうでないマイナスの部分も絶対にある訳です。
 僕がこういう風になったのは、一番は役所に入庁して、まず、親戚から「税金で飯を食っていて」と言われたのに腹が立った事です。「いや、俺も税金払ってるし」と思って。僕は全然、公務員になるつもりはなく、親に言われてなったみたいな感じの人間なんですよ。で、それを言われた時に、どれだけこの業種は周りから恨まれるのかと思いました。ということは、まずちゃんとやることをやれば、そんな事を言われる訳なくて、そう思われないようにしようというのが1点。
 後は、やはり誰に喜ばれたいかという部分で、自分が出世したいと思った事はこれっぽっちもないし、学歴もないから出世なんか出来ないだろうなと思っています。それ以上に、農政担当だった時に感じた事ですけど、喜んでくれる人、この人たちの為にやって本当に良かったなと思いました。ただ、その2つですね。そう思えたから、やるのかやらないのかと天秤にかけ、市民の為になると判断出来る時は、それ以外の雑念は振り払って、やるという選択をしてただ進んできた。
 これをした時にあいつはどう思うんだろうとか、これをした時、例えば内部の人たちはどう感じるのか。また、ここで自分が目立つと何か言われるんじゃないかとか、嫌な事されるんじゃないかとか、そういう雑念が入ると一気にブレーキが掛かって何も出来なくなっちゃうと思うんですよね。
 やはり、やる事をやっていれば、何かあった時にたぶん市民の人は助けてくれると思います。自分はそう信じているので、何があっても動けるのだと思います。
 確かにたまには怖くなったりする事も沢山あります。ですけど、やると決めた以上は進むしかないと思っています。たまたま今まで自分がめぐり合えた上司が良かったという事もありますが、上司に恵まれたのは、たまたまだと思うので、最終的には皆さん次第だと思います。その時に自分は公務員である以上、公僕であって、市民の為になる事は100%やらなければいけないと誓って入った訳ですから、あとはやるしかないのかなと思います。

稲継   有難うございました。非常に心強いメッセージを頂きました。
 今日は北杜市にお邪魔して、浅川裕介さんにお話をお伺い致しました。どうも有難うございました。

浅川   有難うございました。


「農家になれとか、そういう事を親は絶対に口には出さなかったですし、できればスーツを着てネクタイを締めて......そういう仕事がいいぞ。きつい農業の仕事なんかに就かない方がいい」というのが記憶に残っている親との会話だという浅川さん。しかし、農政課、食と農の杜づくり課の時にコミットした農政、食育への思いを、部署が変わっても持ち続けている。
 親戚から「税金で飯を食っていて」と言われ、ちゃんとやることをやるという事と、喜んでくれる人のために仕事をする事を心掛けているという。
 これからも北杜市の為に色々な仕掛けをしていかれる事と思う。